新潟市南区味方地区(旧味方村)出身の2人の名誉村民-曽我量深師と平澤興博士の功績と遺徳を称え、永く後世に継承するために建てられました。

設計は香山壽夫建築研究所。 社団法人公共建築協会の第6回公共建築賞優秀賞(平成10年5月)も受賞している、優れたデザインの建物です。

曾我・平澤記念館

 

竹林を挟んだ隣にある旧笹川家住宅から続くコロネードは、まるで別の次元へと誘うトンネルのよう。半円をモチーフにした1階ギャラリーの奥に、曽我・平澤両氏をそれぞれに偲ぶ記念室があり、遺品や文献図書類がここに展示され、両氏の人となりを知ることができます。ホール上の2階は企画展示室。2人の偉人を輩出した旧味方村を広く紹介するスペースとして、郷土芸術家の作品展など、さまざまな催しに利用されています。望楼へ登れば、旧笹川家住宅や越後平野の眺め、ふるさとの景観がぐるりと見渡せるスポット。

 


さてお2人を紹介。

 

曽我 量深(そが りょうじん、1875年(明治8年)9月5日 – 1971年(昭和46年)6月20日)は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家。真宗大谷派講師、大谷大学学長、同大学名誉教授。旧姓、富岡。法名、「無極院釋量深」。

 

 

伝統的な解釈のもとに継承されてきた仏教・真宗の教学・信仰を、幅広い視野と深い信念とによって受け止め直し、近代思想界・信仰界に開放した功績は顕著で、近代仏教思想史の展開上、大きな足跡を残しました。

 

様々な著書や言葉を残しており、この記念館でその言葉を知ることができます。

(抜粋)如来は我なり されど我は如来に非ず 如来我となりて我を救いたもう

 

信じる者は救われるという宗教というより、もはや哲学に近いのが興味深いと思いませんか。

 

平澤 興(ひらさわ こう、1900年(明治33年)10月5日 – 1989年(平成元年)6月17日)は、日本の医学者。新潟県出身。専門は脳神経解剖学。京都大学教授、京都大学第16代総長などを務めました。

 

 

神経系、特に中枢神経系に関する研究に従事。専門の解剖学に関わる著書・論文の他にも、一般向けの医学解説書や随筆なども多く執筆。浄土真宗の篤い信徒であり、仏教系の出版社から刊行された随想集なども多数出版されています。

 

曽我先生もしかり、様々な著書や言葉を残しており、この記念館でその言葉を知ることができます。

(抜粋)努力することの本当の意味は人に勝つということではなく、天から与えられた能力をどこまで発揮させるかにある

 

平澤先生の逸話を紹介します。

 

命がけの勉学1か月でノイローゼになってしまった平澤先生は、新潟の田舎に帰り、12月の雪降る日に、悶々として歩いていたら、ベートーベンの言葉が聞こえてきたという。

「勇気を出せ。たとえ肉体に如何なる欠点があろうとも、我が魂はこれに打ち勝たねばならない。25歳、そうだ、もう25歳になったのだ。今年こそ、男一匹、本物になる覚悟をせねばならない」。ベートーベンが耳の聞こえなくなっていく過程で自分自身を鼓舞した言葉。その言葉に出会い平澤先生は「あっ、ベートーベンみたいな天才がこれほどの艱難辛苦を乗り越えたのだから、自分のような凡才がこんなことでノイローゼになっていられるか」と思い、また一念発起して戻ったのだそう。その後さらなる勉学に励み、平澤先生は大学者になったといいます。

 

並大抵の努力ではないことは確か。しかし、この努力が平澤先生の人生を大きく舵を取ることになったこと、その「努力を忘れない気持ち」は、地元味方小学生のロールモデルとなり、その気持ちを胸に子供たちは世の中に羽ばたいています。

 

その味方小学校の校歌を作詞した平澤先生の心が、歌詞に込められています。

 

 

2人の人格者を輩出したこの地を、是非訪れてみてください。

 

 

(文責:本間智美)

 

曽我・平澤記念館

https://www.city.niigata.lg.jp/smph/minami/shisetsu/yoka/bunka/sogahirasawa.html